虚無との向き合い方、充実への羨望

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虚しい人生はダメなのか?

人生のアンチパターンとしてよく挙がるのは、「仕事に熱心に打ち込んできたものの、ふと振り返ると自分には何もないことに気づく」というもの。
だが、「自分には何もない」の否定とは、「自分は何かを持っている」とは、どういうことなのだろうか。

虚しいことがイヤなのは百も承知である。しかし、虚しいことは「ダメ」なのだろうか?
虚しさというのは、陥るべきではない心境に過ぎないのだろうか?

虚無を恐れて己を見失う

同様に人生のアンチパターンとして「成功者になりたがる」が挙げられることが、最近増えてきたように思う。
成功者を目指し、何かしらの達成を目指して努力すること、実際にそれを達成すること、いずれも「善い」ものに思える。
しかし問題なのは、その背後にある動機だ。なぜ彼は成功したいと願うのか?

本当に自分は成功したいのかを試すのは容易である。「もし自分が成功者Aだったら」を考えてみればよい。
ぼくの場合、どんな成功者に自分がなったとしても、大して幸福ではないだろうという結論しか出なかったのである。

いろいろな理由付けはできる。ざっと思いつくものを3つ上げる。

  1. そもそも「成功」とは目指すものではなく、ただの結果に過ぎない
  2. 成功者の生き方が、必ずしも自分の価値基準を満たすわけではない
  3. 成功したとして、今の自分が背負うマイナスが雲散霧消するわけではない

今回注目したいのは、3だ。

虚無との向き合い方

そもそも、虚無というのは必ず人生につきまとうものである。
なぜなら、ぼくたちは生きたいと願って生まれてきたわけではなく、他人の手によって生を受けることが決められた存在である。
もし、生きる理由というものによって虚無を解消できるのだとしても、生きる理由という命題の正解は存在しない以上、虚無は必至なのである。

世の成功者のインタビューや本を読むと、虚無への対処法としてよくあるのは「わざと多忙になる」「何かに熱心に打ち込む」パターンだ。*1
この大きすぎる虚無の解決策がないと確信し、少しでもそれを薄めるほうに突き進んでいく。その生き方に人間味を覚えざるを得ない。

問題解決の志向がつよいぼくのような人間にとって、虚無とは解決すべき課題であるかのように思われる。
だが、そもそも解決するような性質のものではないと考えるようになった。

であれば、とる道は2つ。虚無を丸ごと噛みしめる*2か、虚無を避けるかである。

虚無をかみしめるストイックな生き方しか選べないのであれば、哲学のエッセンスを思考に採り入れるしかないように思われる*3
哲学にどっぷり浸からなくとも、そのエッセンスをひとしずく採り入れたほうが生きやすい人間は多いのではないだろうか*4

そして、虚無を避けるのであれば、ただそれを忘れる環境を作り上げることだ。
仕事だけではダメだ。退職後にその重みを一挙に引き受けることになってしまうから。
もちろん退職後に仕事を探すのでもよい。要は、暇を消してしまうことだ。

おまけ:ハンター×ハンターの登場人物のうち、もっとも羨んだ存在

漫画「ハンターハンター」に登場する人物の中で、ぼくがもっとも羨んだのは、蟻の王メルエムであった。
彼の人生(蟻生)はたいそう短かったが、ネテロの自爆によって毒を盛られたメルエムが、コムギとの対局の中で生まれてきた意味を悟るシーンがある。
d-manga.net

感動もしたが、心の奥底から羨望があふれ出していた。
ぼくにとって、虚無は死ぬまで挑み続ける大きな課題である、という話。

どうでもいいオマケ

ハンターハンターの話が出て思い出したので。
なぜか一番印象に残っているのは、大富豪バッテラ氏が、グリードアイランドに執着する必要がなくなったその理由を、ツェズゲラたちに告白するシーン。
「だが・・・もういい」
「もう いいんだ」

*1:幻冬舎の見城氏やホリエモンなど

*2:ぼくにとって、虚無に対する生き方の「正解」は、虚無の果てしなさに絶望し、不幸を自覚し噛みしめながら生きることである。そして、決して自発的に死を選ばず、訪れる死を受け入れる準備を淡々と行い、死を受け入れることである。

*3:そういった不器用な人間には、中島義道氏の書籍をおすすめする。

*4:いわゆるマイノリティの人間にとって、世間の一般的な意見と如何に向き合うかという課題は常にあるのではないか。