不安な未来をムリなく肯定する方法
数年後の自分がすごく成長してるかはわからんけど、今の自分が数年前の自分とベツモノだなーとは思うので、
— やの@哲学エンジニア (@KNDPG) 2019年2月3日
実は数年後の自分はけっこう成長出来ている、と思うことにした。
不自然なポジティブはダメ
「ネガティブ思考よりポジティブ思考のほうがいい」とよく言われる。
しかし、「君はそのままでいいんだ!」とか、
「君にはたくさんのいいところがあるんだよ!」とか言われたら眉をひそめたくなる。
これらは、自分の実感を超えてポジティブなことを言っているからだ。
考えナシの納得しがたいポジティブは、どこかムリがある。
ネガティブ思考が大得意なぼくのような人間にとって重要なのは、
実は道理がとおらないネガティブ思考をしていることを自覚し、かつ、
自分にも納得できる、価値がありそうなポジティブさを採り入れることだ。
過去を悔やむことをポジティブにする
誰にだって「やり直したい」と思うことはあるだろう。ぼくもたくさんある。
(タイムマシンくれ)
子どものころに思い出すと恥ずかしくなる失敗をしない人はいないだろう。
ただ、過去を悔やむのは、意味のないネガティブだ。
ここで言いたいのは「いくら考えたって過去は変えられない」ではなくて、
「その恥ずかしいミスをした自分と、今の自分がベツモノであることに気づいていない」からだ。
たとえば、ぼくが小学生のころ、友達とけんかした際に、友達のメガネを奪って持ち帰ったことがある。
誰かがそれを話題に出してぼくのことをバカにするとしよう。
ぼくは「恥ずかしい」ではなく「こいつ何言ってんだろ」と思う。
もちろん、これはぼくの心の狭さがしでかした「良くない行為」である。
ただ、当時のぼくと今のぼくは、もはや別の人物である。
大事なのは「自分が過去に大失態をやらかした」ことではなく、
「今の自分ならもうあんなことはしないだろう」ということなのだ。
つまり、「過去を恥じる」ということは、「自分が確実に成長している」ということなのだ。
ちなみに友達のメガネを持ち帰ったぼくは母に叱られ、友達と待ち合わせをして謝った。
そのとき、もはや二人とも怒っておらず、最後は楽しく会話をして別れたことを覚えている。
恥じるエピソードじゃねーのかよ!と思った方、申し訳ないm(_ _)m
「1年後」より「1年前」の自分を見よう
成果を出している人は、短期的に集中することの大事さを語る。
いわく、1年というのは意外と長いもので、ちゃんと時間を注げばけっこう大きな成果を上げられるという。
しかし、彼らもいうように、1年後というのは感覚的にはわからないものだ。
そこでオススメなのが、1年前の自分を見ることだ。
1年前の自分がやらかしがちなミスを、今でもやらかしているだろうか?
きっと多くの人は、細かいところで成長しているはずだ。
「成長してない!やばい!」と思った人も、じっくり探せば見つかるものだと思う。
個人的には「朝起きるのが少し楽になった」とかでも全然いいと思う。
なぜかって、ぼく自身が数年前から、自分がやってきたわずかな成長を、一人かみしめてきたからだ。
そのときのぼくにとって、その成長が努力の証だったし、それは必要な成長だった。
「もっと早くやっていれば」という後悔は実は正しくなくて、「今だからそう思える」のだ。
最初は「そうはいっても、もっと早く取り組めたほうがええやろ」と思っていたが、
なぜか自然と「今だから思える」という考えにシフトしていった。不思議なもんだ。
おわりに
やっとブログのテーマとして掲げている「ネガティブからポジティブへ」っぽいテーマが書けた(笑)
新しく買った本の感想とか、コンテンツの許容量の話とか、職場の人間関係に恵まれすぎてて驚いてる話とか、
テーマはまだいろいろあるので、なんだかんだで毎日更新は出来そうな気がしている。