お金の使い方から見る自分_その2

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後編。
今回取り上げるのは、下記のうち後半の3つの買い物だ。

  • 整体の契約(8回ぶん)、64,040円
  • ヒゲ脱毛+陰部脱毛、22万円
  • 2週間のカナダ旅行、10万超 + 現地で購入した絵画、5万円
  • ライブチケット(ガリベンガーV、電脳少女シロ生誕祭)、15,000円
  • JavaScriptの勉強会(3か月)、18万
  • ルームランナー、3万
  • ダンベル、3万

Javascript勉強会

 JavaScriptは勉強会が始まる前より独学していた。理由は二つある。
 一つのきっかけは日常生活が退屈であったこと。システムエンジニアとして働く日々を過ごしていたが、そこには技術面の知的興奮というものがあまりなかった。今にして思えば、現場に入って1ヶ月しか経っていないというのが大きかった。
 二つ目。もともとRailsを触る機会があり、そこからWebアプリに対してイメージを膨らませていた。作りたいものがいくつか出てきたため、JavaScriptの学習意欲が沸いた。

 JavaScript勉強会は三ヶ月のあいだ行われた。週に一回、ある会場にて15人程度が集まり、六時間の講習を受ける。
 実際に手を動かすことを重視した授業であり、JavaScriptの基本概念、Class構文、アロー関数、Vue.js、strapiによるAPI機能の導入などを学習した。

 まず、求めていた技術面の知的興奮がそこにはあった。作りながら、よりスマートなコードを生み出せないか試行錯誤したり、新しい機能を追加したり。Railsで作成したAPIと組み合わせたり。
 しかし、最も大きかったのはメンタルの変化である。去年から今年にかけては、本当にメンタル面で色々な変化があった。
 その1でも触れたが、自分は評価されたいという欲が強く、非合理的なミスを犯してきた。JavaScriptを独学していたこともあり、勉強会の中では「そこそこ出来るやつ」のポジションにいることが出来た。シンプルに言うと、実力が評価されたのだ。
 学生時代とは異なり、社会人時代は主にプログラミングに関して、肯定的に評価してもらえることが増えた印象がある。頑なだった自分のメンタルも少しずつ融解し、非合理的な行動をとることが減ってきた。その中でも、このJavaScript勉強会は自分のメンタル改善にかなり効果を発揮してくれた。
 学生時代の自分が見たら驚くことだろう。勉強会の最終日に行われた飲み会で、勉強会仲間と無理なく会話出来ている自分がそこにいることを。

ぼくにとって他人とは

 ぼくの最大の関心事は常に自分であるので、もう少し語っていきたい。
 そもそも、ぼくにとって他人とは「自らを脅かすもの」にほかならない。もちろん仲良くなればその人は「他人」のカテゴリから外れて、自分がこの世界に存在することを脅かすような存在ではなくなってくるのだが、見知らぬ他人はぼくにとって「脅かすもの」であることに変わりはない。
 なぜぼくは他人を「脅かすもの」と呼称するのか。それは、他人に迷惑をかけることで生じる「申し訳ないという感情」が、生きることを面倒に思わせるからだ。

 たとえば満員電車というのは、ぼくのようなメンタルの人間にとって地獄の代名詞となる。人が押し合うことが「許容」ではなく「推奨」されるあの空間は、要するに「周りの人を人間と思うな」というルールが空間を支配している。
 ご多分にもれず、ぼくもそのルールに従い他人を人間ではない邪魔なモノと見なすのだが、ふと向こうが押し返してくることがある。同じくぼくも押されて押し返すことがある。
 このとき、目の前にいる存在はモノではなく、意思を持った人間である、と考えざるを得ない。モノであれば邪魔だからどければ済む話だが、人間である以上どかすわけにはいかない。
 しかし、ここは満員電車である。駅員にとって人間が「はみ出してくる邪魔なモノ」であるのと同様に、客同士も「邪魔なモノ」として存在感を増す。客はモノであり人間であるという、その非一貫性がもたらす違和感が耐えがたい。

 人間にとって他人は生きる意味になることもあれば、生きる上で障害になることも多々ある。ぼくが世の中で接する「人間」は、自らを脅かす「他人」と、自らの存在を肯定してくれる「ヒト」のふたつに分かれる。他人とは脅かすものである。

ルームランナー

 今まで生きてきた中で最も有意義な三万円であったと胸を張って言えるぐらい、ぼくはルームランナーにお世話になっている。
 22歳ごろから「なんとなく走りたい気分」になることがあり、突発的にランニングをすることがあった。しかし屋外のランニングは面倒が多い。人や車とぶつからないようにしなければいけないし、天気や温度によって対応を変えなければならない。天候によって自分の気分を阻害されるのが不愉快だった。
 そんな理由もあり、ルームランナーを買ったのが数年前。そして、気が向いた時にだけ使っていたルームランナーは、2019年12月から「毎日使うもの」に昇格した。

 実はこれまで筋トレをやっていたのだが、ランニングのほうが自分にとってメリットがあると気付いた。
 ぼくは身体に筋肉をつけるために重いものを持ち上げる行為がさほど好きではなかった。手帳に記録をつける行為と、その記録が日々微増していく様子を眺めるのは楽しかったのだが、筋トレ自体が好きになれなかった。
 あなだがもし、筋トレをしていてスッキリすることがあったり、重いものを持ち上げているときにその重りに意識を集中させることができるようなら、たぶん筋トレが向いているのではなかろうか。

 ぼくにとって必要なのは、日々の生活で積み重なる精神的なモヤモヤと向き合い、それを少しずつ溶かしていくことである。筋トレは短時間で終わるし、3セットやるとしたら、セット間の時間を何かに使いたくなる。
 そこでランニングを試したところ、個人的な課題の解決にとても有用であることを実感した。体は強制的に動いているが、頭は自由に活動できる。そして体が忙しいぶん、体の雑事に思考を割かなくて良い。
 ぼくはアトピー性皮膚炎なので、体からすぐにアラートがとぶ。それが思考を阻害することが嫌で仕方なかったところに、ランニングという手法がピタリハマった、というわけだ。

ダンベル

 筋トレはここ数年でトレンドとなっているように思う。
 その兆候は「ダンベル何キロ持てる?」のアニメ化、NHKの筋トレ番組の開始などに現れているだろう。
 そんな流行に浮かされてか、数年前に購入したのが重量を変更出来るダンベルだ。上腕二頭筋、手首、広背筋、大胸筋のトレーニングなどに使っていた。

 筋トレによるメリットは、生活リズムの矯正、汗をかくこと、体が日々変化していくのを楽しめること、自分の課題に向き合う必要が生じる(今すぐ50キロのダンベルでトレーニングしろと言われても無理なので、自分の限界値を冷静に見るしかない)ことなど、様々だ。
 特に自分の場合、生活リズムが乱れがちであること、アトピー性皮膚炎のせいもあり自分の体があまり好きではなかったこと、が大きな理由だった。
 ダンベルを使用しない筋トレも含め、トレーニングは2019年9月〜2019年12月まで続いた。一日に30分ほどトレーニングの時間を設けて、様々な部位の筋トレを行った。
 3ヶ月ほどという短い期間ではあったが、腕や足が多少太くなったのを実感するには十分な期間だった。

 だが、2020年1月半ばの今は、筋トレをすっぱりやめてしまった。理由は複数ある。
 - 自分にとって、ランニングのもたらす効果のほうが重要だったこと。筋トレをしていると、セットとセットの間に体がヒマになり、あまりすべきではない行動をしてしまうことが多かった。自制が足りないといえばそれまでだけれども。
 - 体を太くするために食事量を増やすべきとわかったが、もとから食が細めであり気乗りしなかったこと。食事量を増やさなくてもある程度鍛えることは出来るが、プロテインの摂取などを意識的に行うのがやや辛かった。
 - そもそもあまり体を太くしていきたいと思っていなかったことに気がついた。生きる上で支障がないぐらい、また自分で鏡を見て幻滅しない程度でよい、というのがいまのスタンスだ。

お金の使い方を振り返って

 この一年は変化が激しい年であった。2019年度に社会人2年目を迎え、2020年02月に転職。それに伴うゴタゴタもストレスとなって、精神的な変化を余儀なくされた、ともいえる。
 しかし、それよりも前から自分がわずかに変化しているのを感じる。これらの買い物はいまの自分だからこそ選んだものだ。お金があっても昔の自分では出来なかったことも多かろう。
 結局のところ、人はその人なりのペースで変わっていくものであると思う。お金の使い方という一側面は、それを振り返るためのひとつの観点に過ぎない。

 ただし、今の時代ほど自分のことを理解する必要性が高い時代もないのではなかろうか。そのためにお金の使い方という観点から自分の在りさまを振り返るのは面白い。