そういえば僕ADHDでした

f:id:piyo_yeah:20181202190633j:plain

先ずネタバレから。
今回は、ついさっき発生した出来事に関して、ADHD傾向のある僕が、思うところをつらつらと語っていきます。
語る動機は主に2つ。
先ず、こういうのは見た目ではわからないから、当事者の感覚はもっと広まるべきだと思っていること。
次に、同じような傾向を持っている方に対して、何らかの励みになることを期待して。共感してもらえない苦しさ、こっちだって理解できないのに、こっちばかり説明を求められる苦しさ、そういったものが少しでも軽くなれば、僕はとても嬉しい。

状況を説明

僕は客先常駐型の会社に所属しています。普段は別の会社に出向して、そこで働くってことですね。
職場(会社B)に入って、はや一ヶ月。まこと順調に働けているなーと錯覚していた僕は、所属する会社の先輩からお叱りを受ける事態と相成りました。

会社Aの先輩に呼び出され、実は先方から苦情が入ってるのよ、という話に。苦情とまでは言ってないけど、結構深刻なレベルだと聞いたので。
苦情の内容は、要するに、自分で調べる前になんでも聞いてくるのヤメテ、ということでした。
実は、同じようなことは、これまで3回言われたことがあります。こう書くと全然反省してないクソ野郎にしか見えないでしょうが、僕は至って真面目に、改善出来ているつもりでした。

わからない僕ら

よく言われることですが、ADHDというのは言外の意図を読むのが苦手です。
ですが、日本はハイコンテクストな文化、つまり「言わなくても、ま、わかるやろ」の精神の文化です。うーん、生きにくい!(笑)
ここが、両者の和解のネックになってる部分ですね。ADHDというのは、所詮、程度問題なんです。(* 1)

うっかり和忘れてた、つい我慢できない、思ったら口に出してしまう・・・などなど。こういった「誰にでもある」ですが、ADHDとされるような人は、その傾向が特に強く、一般の人が自然とできるようには対処できないんですね。
こればっかりは「甘えてんじゃねえ!」という意見があるのももっともだと思います。僕もそう思ってます(笑)
でも、出来ないんですよね。出来ないから、困ってるんですよね。僕も、周りの人たちも。

僕の場合は、うっかりミスについてはメモを残すことで対策してます。朝に持っていくものを忘れないように、「朝になったらこれを見ろ」セットをつくったりね。
でも、対策しにくいのが「わからない」ことですね。さっき言った、言外の意図ってヤツです。
職場の人間からは、そこそこ評価されてると思ってたんですよ。ですが、結構な不満もある様子。
落ち込みましたが、落ち込んでいてもしょうがないので、取り敢えず対策を考えました。
そこで、次は、対策を考える上での難しさについて触れていきます。

ADHDは一人ではやっていけない

先ほども言いましたが、ADHD傾向があると、色んな事が「出来ない」んですよね。だから、周りの人たちが一切協力しようとせずに「お前は大人なんだから、そのぐらい出来なかったらおかしいやろ」と考えているようなら、もう無理だと思います。転職しましょう。
個人で対策できるものも、勿論あるでしょう。僕のうっかりミスは比較的軽微なので、一人でもなんとかなってます。
ですが、今回のようなケースでは、正直無理ではないかと思います。
質問の仕方というのは、相手ありきですからね。相手のことをよく見て、どういう状況なのか判断する必要があります。

ADHDが全て本人の怠慢であるなら、そのほうが良いんですよ。だって、頑張るだけでいいんですから。時間はかかりますが。
僕はある薬を処方してもらっています。ADHDというよりは、過眠症対策の薬ですが。
それなしに生きろと言われたら・・・もう大変ですね。職場で爆睡するでしょう。
ADHDとは、やや異なる話かもしれませんが、本人の努力だけでは解決しづらいほど、それが出来ない、というのも、ADHD傾向がある人が持つ、苦しさの一つです。

質問魔をやめるために、僕が考えた対策

主に2つ。
1、職場の人たちの協力を得て、質問に明確なルールを設けてもらう
2、やってはいけないことを明確にする
言外の意図を読むのが難しいので、僕にとってわかりやすいルールを決めるのが便利だなと。ADHDの本とか読むと、こういった工夫はいっぱい出てきますが。

敢えて伝えたい、当事者の不満

僕らは自分自身がこうであるから、少しずつ自分について理解を深めていきます。
そのうち、「こればっかりは、自分にはどうしても出来ないんだな」ということがわかってきます。
僕の例ですが、暗い部屋で、ほぼ発言することもない会議に参加した場合、100%寝ます。
これに対して、かかりつけのお医者さんは「暗い部屋で退屈なまま我慢しろなんて、そんなの拷問だよ」と仰っていました。
僕より数多の例を知っているこの人が言うぐらいなんだから、そうなんだろうなあ、と、自分を少し受け入れてあげられた瞬間でした。

さて、「どうしても出来ない」以上、「良いわけなんて聞きたくねえ!寝るな!」という発言は、事態を悪化させます。
ドストレートに言うなら、それは馬鹿の行為なんです。だって、その言動で事態は解決せず、寧ろ悪化しますからね。
その言動で救われているのは、めんどくさいやつが来てしまった、という自分の不満を一時的に晴らせた、その人だけです。あ、言いたくても怒れなかった人も救われてるか。

電車で泣く赤ん坊に対して、「うるせえ!泣くな!」と叫ぶ大人はダサいですよね。
それと同じなんですよ。

なんでこんなことを敢えて言うのかと言えば、感情だけは自由でいさせてくれ、と僕が願うからです。
ADHDの人、面倒ですよね。僕もそう思います。
面倒な手間をかけさせないでくれ、なんでそんなことも出来ないんだ、何回言ったらわかるんだ・・・という不満も、その通りだと思います。

僕は、その感情を決して否定しません。そんなこと考えるなんて馬鹿だな、とは思いません。ですが、そんなことを言うなんて馬鹿だな、とは思っています。
だから、僕たちの感情を否定しないで欲しいんです。行動は否定されても、しょうがないと思います。手間がかからない人間と、手間がかかる人間。どっちがいいかなんて決まってるじゃないですか。

同じように、ADHDの人も、自分の不満を否定しなくてもいいんじゃないか、と思います。
人間が一番求めるものは、幸福ではなくて、自由なんだそうです。(* 2)
僕はまだ、幸福より自由が求められるという考え方について完璧には理解していませんが、感情を否定されることの苦しさは、痛いほどわかります。

(* 1)
chikarinadhd.hatenablog.com
(* 2)

「自由」はいかに可能か 社会構想のための哲学 (NHKブックス)

「自由」はいかに可能か 社会構想のための哲学 (NHKブックス)