いいわけしても損しかしない、という残酷で当たり前の話

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 突然ですが、ぼくは特発性過眠症という病気?にかかっています。
 ザックリと説明すると、特定の条件がそろうと強烈な眠気におそわれる病気です。
 たとえば会議中、食後、電車の中、といろいろあるわけですが、
 この「強烈な眠気」とやらが、まあ説明しにくいわけです。
 当人としても、「耐えられないくらい眠い」ぐらいしか言うことがありません。
 たとえば、みなさんが眠くなったとき、その眠気をどう説明するでしょうか。
 徹夜明けの眠さと、授業がつまらなさすぎてやってくる眠さは、なんとなく同じではない感じはしますよね。
 でも、じゃあどんなふうに違うのか、説明できるでしょうか?

説明できないものとは

 ある現象に名前がつくのは、当人たちにとってそれを言語化する必要があるからです。
 たとえば、アイヌの人たちが使う言語において、「雪」には30種類以上もの言葉があるそうです。
 それは、雪の硬さ、重さなどで変わってくるようですが、
 ぼくたちにとって、雪は「雪」でしかないですよね?
 大雪とか、細雪(ささめゆき)という言葉はありますが、
 日本で暮らす僕らにとって、雪という言葉があれば、もう十分なわけです。

 何を言いたいのかというと、説明というのは、相手が持っている感覚にも適用できる形でしか成立しないわけです。
 過眠症の人たちが感じる眠気というのは、当人たちに特有のものだと思います。
 「眠気」としかいいようがないものだと思いますが、安易に「眠気」と言ってしまうと、
 「こっちだって眠いんだから、そんなワガママ言っちゃいけません!」なんて叱られてしまいます。

説明できない「吃音の感覚」

 じつは、ぼくは軽度の吃音持ちでもあります。
 吃音の人には「わかるわー」となる感覚なんですが、たとえば「お」から始まることばって、すごく言いにくいんですよね。
 たとえば「おはようございます」「お疲れ様でした」「お先に失礼します」といった社会人に必須の用語。
 これ全部「お」から始まるやん!Σ(゚д゚lll)ガーン

 話を戻しますと、「お」から始まる言葉が言いにくい、といった独特の感覚って、
 吃音もちの人が、しゃべろうと口を動かしている瞬間に「あっ、これ言えないやつだ」と感じるんですね。
 時間にしてほんの一瞬なんですが、この感覚がビビッと来たとき、その文字から始まることばを発音することができなくなります。
 結果として「えー・・・・・・おはようございます(小声)」みたいなことになるわけですね(´・ω・`)

 まあ、ことばで説明しましたが、この感覚って、経験したことがある人しかわからないですよね?
 過眠症の「眠気」というのも、これと同じようなものなんです。
 ことばにすることは出来るけど、それを周りの人に納得してもらうように説明することが非常に難しいんですね。

言い訳するな!

 やっと本題です(笑)
 さて、「過眠症つらいよう・・・」という内容かと思いきや、そう嘆くぼく自身をひっぱたくのが、この記事の主旨です。
 過眠症がつらいとしても、頑張らない理由にはならないし、どこまでも特別扱いしてもらうわけにもいかないんですよね。

 ただし、過眠症の発動条件がこれでもかと揃った条件で「寝るな!」と言われたら、そういう人たちと一緒に生きるわけにはいきません。
 だって、それは「無理」なことですからね。
 過眠症は「病気」です。根性でどうにかなるものではなく、物理的に脳が、身体が変容している状態です。
 なので、「過眠症だからって寝るわけにはいかん」と言いたいわけではありません。

 あくまでも、ぼくが、ぼく自身に語りかける場面においては、
 「過眠症だからって甘えてんじゃねーぞ」という態度も、やっぱり必要である、
 というのが、今回の主旨です。

 当たり前のことなんですが、自分の人生に責任を取ってくれるひとなんて居ませんからね。
 自分が欲しいものを言わずとも察知してくれて、それを用意してくれて、生活に困らないようにしてくれて・・・
 いやいや、そんな人間おらんから・・・そもそも無理やから・・・(´・ω・`) という。

 それだけの話なんですが、気を抜くと「いまつらい自分」を甘やかしてしまいそうになるので、肝に銘じておこう、ということですね。
 人間は長期的な視野をもつのが難しい生き物ですから、訓練は欠かせないんですね。