男も女も、よりよい絶頂を求める
人間は理想を見る
今回は、性的絶頂を求めてしまう人間の性(さが)について。
セックスに関して男性が言われたくない、貼られたくないレッテルは、早漏、短小、前戯が下手、などだろう。
同じようなことは女性にもある。絶頂出来ない、セックスが好きではない、などの悩みを持つ人が結構いるようだ。
voicy.jp
この回のVoicyでは、「天にも昇るような絶頂」というものを欲する女性の悩みが寄せられている。
男性には明確な絶頂、終わりというものがあるのに、女性のそれはやや曖昧であることも、もちろん原因の一つではあるだろう。
しかし、至上の快楽を体現したような絶頂を望んで、目の前の行為に集中できない状況に、僕は危機感を覚える。
至上の快楽とは?
先ず、男性の快楽、絶頂について考えてみよう。
一般的には、男性の絶頂とはすなわち射精である。精液を吐き出すことで、男性は絶頂に達していることが明確であるという。
しかし、快楽の種類は良くも悪くも、一つではない。
男性が享受しうる快楽には、潮吹き、トコロテン、ドライオーガズム、など様々なものがある。
簡単に説明すると、潮吹きとは亀頭をしつこく刺激することで達しやすい一つの快楽だ。透明な液体が噴き出す様子は、女性の潮吹きと似ているところがある。
トコロテンとは、主にアナルから前立腺を刺激することで、精液がトロッとこぼれること。
ドライオーガズムとは、トコロテンと同じで、アナルから前立腺を刺激することで、まるで女性の絶頂のような、じんわりと深く長い快楽を味わうこと。
経験者が語るところによると、以上の三つにおける最大の快楽は、ドライオーガズムであるらしい。
ドライオーガズムに関する本を読むと、面白いことに、そこに達しようとしても、なかなか出来ないものであるらしい。
気長に快感を味わい、時間をかけて性感帯を開発するような準備が必要らしい。それも人によりけりで、すぐにそこに達することが出来る人もいるんだとか。
さて、ではその至上の快楽とやらを、みな理解しているのだろうか?
女性の絶頂のように長く深く続く、と言われても、それをイメージできるのは体感した人だけだろう。
その感覚も、当然人によって異なる。ある人が感じるドライオーガズムと、別の人が感じるそれが同じだという保証はどこにもない。
つまりは、その快楽というのは、とても不確かなものなのだ。
理想に溺れる人たち
快楽というのは、追えば追うほど遠ざかり、気長に待つものにはやがて訪れるという、そういう性質をもっているものらしい。
例えば、男性の勃起。あれは交感神経による興奮と、副交感神経によるリラックスがバランスをとって実現しているという。
そして、性行為の絶頂とは、没頭の果てにあるものであるらしい。人間が社会性を捨て、お互いの下品さ、動物性を了解しながら、深く認め合うのが性行為の本質だという人もいる。
快楽というものは、そもそもの性質上、強く求めるものはそっぽを向かれる性質であると言えそうだ。
至上の快楽、確かに、それは魅力的だ。
しかし、求めれば求めるほどに遠ざかる、まるで「幸せ」のような捉えきれなさが、そこにはある。
中島義道は、著書「不幸論」において、幸福を求めることの危うさを指摘してくれている。
彼の素直な姿勢は、一部の人を魅了する。一読の価値はあるだろう。
ここでは詳述は避けるが、いつか自分の考えも併せて考察したい。
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このように理想を求め、膨らませた妄想が実現することを期待する行為は、至るところに見受けられる。
例えば、結婚に憧れる人々。結婚さえすれば、周りを羨むだけの辛い日々が終わると思ったものの、実際にはそうではないことを知る。
例えば、恋愛や性行為に憧れる人々。漫画のような理想的な人物に肯定され、まるで生きる意味を見つけたかのような幸福があると信じてやまない人も、世の中にはいる。
もちろん、実際に理想通りの幸せが実現した人もいるだろう。しかし、これさえ出来ればきっと理想通りになる、という一種の盲目さに、僕は危機感を覚えるのだ。
僕たちは欲求とどう生きるべきか
結論から言うと、僕も答えなど持っていない。
あくまで僕は、僕の中で強く主張しづつける違和感や危機感を無視できないだけだ。
そもそも、答えなんてない。身もふたもないが、正解は人の数だけあって、失敗の数は限られているのだ。
賢く、そして真っ当に生きるなら、失敗のたびに学ぶのが最適解なのかもしれない。
しかし僕は、もうちょっとバカになることを学びたい。
ある程度のところまで行ったら、「問い」というのは投げ捨てるべきものなのではないか、と思っている僕がいる。
言葉にするのが難しいが、これが現時点での僕の結論だ。
そもそも、性的に役割を果たしたいと思い始める人間は、滑稽ですらある。
絶頂出来ない女性も、性行為が下手な男性も、自分の延長ではない別の場所で苦しんで生きているような、そんな違和感がある。
人間の傾向を皮肉に捉える、一見みっともない姿勢だが、皮肉に捉えることで望んだ結果が得られることもある。
人間は、もっと考えすぎずに生きていてもいいんじゃないだろうか。